亀井 南冥 かめい なんめい
   

冬日有懷
索居偕白首
良會幾時間
木葉黄而樂
雁行離又群
簾寒冬嶺雪
鍾度曉天雲
書畫西都宴
笑陪娯使君
文化乙丑仲冬
   冬日有懐
索居(=人と交際もせず離れて、独り寂しい生活) 白首(=老人)を偕(とも)とす
良会 幾時間
木葉 黄而して楽
雁行 離れ又た群れる
簾寒し 冬嶺の雪
鍾 度(たび)たび 暁天の雲
書画 西都の宴
笑いを陪(そえ)る 娯の使いの君
   文化乙丑(2年)仲冬 
28.7p×27.4p

寛保3年(1743)生〜文化11年(1814)歿
制作年 文化2年(1805)
 江戸時代の儒学者、医者。諱は魯、字は道載、通称には字をもちいた。筑前(福岡県)の人。
 僧大潮に徂徠学を学んだが『論語』を唯一の論拠とし、経世を重んじた活動的な独自の主張をもった。子の昭陽に伝えて世はこれを〈亀門の学〉という。
 天明4年(1784)2月23日、福岡の志賀島の畑の中から偶然に金印が発掘され、奉行の津田源治郎を通して南冥に鑑定が依頼された。南冥は「後漢書東夷伝」の中元2年(AD57)1月の記事として光武帝が倭国から来た使者に金印を授けたという記事があることからその印であろうと鑑定した。結果、金印は福岡藩が預かることとなり、現在は福岡市博物館に展示されている。
 詩をよくし酒をたしなみ、旅を愛し、任侠慷慨の性格で儒侠と称された。主著『論語語由』のほかに、経世策をのべた『半夜談』、熊本藩の善政を紹介して自己の見解を付した『肥後物語』などの著がある。
 「南冥魯敬具」の下に、白文の「亀井魯」、朱文の「道載」の落款印が押されている。


推奨サイト
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/kamei.html
http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/kaisetsu/kantou_kinin.html
http://members.ld.infoseek.co.jp/ko_i_zu_mi/memorial/ekiken09.htm
http://aeam.umin.ac.jp/siryouko/ikadata/kamei.html
http://shuyu.fku.ed.jp/syoukai/rekishi/rekishi_enkaku.htm
http://www.fukuoka-good.com/great/kameisei/kameiseitop.html
http://www.nokonet.com/museum/honkan.htm
http://www.city.fukuoka.jp/contents/7d14c213126f/7d14c213126f329.htm
http://www.st.rim.or.jp/~komatsu/kinin.html
http://www.fjct.fit.ac.jp/yama-lab/kin-in/hakkutu.htm
http://betalabo.blog83.fc2.com/blog-category-4.html
http://bekkoame.ne.jp/~gensei/ten/sikaland.html
http://www.lib.fukuoka-u.ac.jp/e-library/tenji/kyusyu/kyo/5-1.htm


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